少年野球発祥の地 神岡町
神岡町について

豊かな自然と歴史が薫る町


神岡町は昭和30年に旧神宮寺町と旧北楢岡村が合併して誕生しました。町名は神宮寺町の「神」と北楢岡村の「岡」の二字をとったものです。

現在も大字として神宮寺、北楢岡の地名が残っていますが、神宮寺の地名の由来は菅江真澄の『月出羽路』に「神宮寺は元来郷にあらず。華蔵院の寺号・・・」「神宮寺村は古来は楢岡の荘、副河の郷と云い」とあり、この華蔵院の寺号「神宮寺」がそのまま地名になったものです。


神宮寺嶽(だけやま)
同じ『月出羽路』に「奈良岡とは神宮寺ケ嶽の古名」とあり、神宮寺嶽の南を「南楢岡」(南外村)、北を「北楢岡」の名になったものと思われます。

写真は神岡町のシンボル「だけやま」です。標高は277メートルと高くはありませんが、ピラミッドのような見事な円すい形をしており、付近の山を圧する威厳があります。中腹から山頂までは杉の原生林に覆われ、「風致保安林」になっています。山頂には「嶽六所大明神」がまつられ、古くから信仰の対象になっております。毎年3月の第三日曜日には梵天が奉納されます。


明治33年、南楢岡クラブで投手・打者として活躍した神宮寺出身の富樫武治が神宮寺尋常小学校に準訓導として就任。

東京で身につけた野球を、学校教育の一環として生徒に指導し、この時野球選手に任命状を与えたのが、秋田県の少年野球の始まりです。

以来、神岡町は少年野球発祥の地として広くその名を知られるようになり、野球を愛する情熱は、今でも町の人々に受け継がれています。

また、昭和54年からは秋田魁新報社と共催で「全県500歳野球大会」を開催、毎年全県から約4,000人の往年の名選手が一同に集い、神岡野球場を主会場に熱戦が繰り広げられます。


高価だったあめも江戸時代になると庶民にも手の届くものとなり、奇抜な衣装を身にまとい、太鼓をたたきながらあめを売り歩く商人が各地に見られるようになりました。飴売り節は客寄せやサービスに歌ったもので、秋田では神岡町北楢岡を中心に市日によく歌われた、といわれています。

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