「出場選手資格は50歳以上」、「出場選手9人の合計年齢は常に500歳以上」、「試合は5イニング制」、「55歳以下の投手は3イニング(9アウト)しか投球できない」などの独特のルールを持つ「全県500歳野球大会」。
少年野球発祥の地として看板を掲げる本町の一大イベントとして定着しており、回を重ねるごとに参加チーム数は増えています。
大会は、県野球協会会長をつとめていた、故高橋政泰氏の提唱により、実戦に参加する機会がなく観戦だけに終わっている50歳以上の0B達が、昭和53年(1975)秋に紅白試合を行ったことに始まります。投手のスピードは抜群、打者の当たりは確実、野手はゴロもフライも確実に捕球という、見事なプレイの連続でした。
甲子園や社会人野球で活躍した選手も少なくなく、基本をマスターした昔の有名選手たちの、よく投げ、よく打ち、よく守るの三拍子そろった試合に「野球は見るものではない、プレイしてこそ野球である」と誰もが思ったものでした。
翌54年6月9日、「神宮寺嶽クラブ」の新調のユニフォームを着用した28名は再び紅白試合を行い、さらに7月1日には町内外の反響の大きさに力を得て「第1回大曲仙北500歳野球大会」を開きました。
参加六チームには、勝利監督賞、最高殊勲選手賞、敢闘賞、ハッスル賞、珍プレイ賞、敬老賞(オールドパワー賞)の個人賞が用意されました。
これら二度の紅白試合と郡市大会を行い、自信をつけた選手の間から「今度は全県大会を開催したら」との声が上がり、同年10月20日に記念すべき「第1回全県500歳野球大会」が行われたのです。
第1回大会時の会場は中川原第一・第二グランド。現在は、神岡野球場を主会場に町内7会場と南外村の4会場で毎年盛大に行われています。
平成5年の第15回大会では史上最多の83チーム、約2,100人の往年の名プレーヤーたちが参加しました。第1回からの連続出場チームは本町の「神宮寺嶽クラブ」を含めて6チームありました。
また、この大会では、これまでの最高齢選手で88歳の方が出場されました。開会式では全選手が堂々と入場行進。一年ぶりに顔を合わす人がほとんどとあって、「まめだが」、「ケガさねようにがんばれよ」などとお互いを励まし合い、再会を喜ぶ姿が見られます。
プレイの方はというと、悪天候もなんのその、気迫と野球への情熱がほとばしる白熱したゲームが展開され、「しんまちOB」が地元としての初優勝を飾りました。個人賞は最高殊勲選手賞、最優秀投手賞、敢闘賞、首位打者賞、打撃賞、オールドパワー賞、勝利監督賞が設けられました。
「われわれの甲子園は500歳野球の神岡野球場だ」とは参加選手たちの間でよく聞かれる言葉です。今後も、野球を愛してやまないオールドプレーヤーたちは、活き活きとしたプレイを繰り広げてくれることでしょう。 |