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史跡に見る神岡町の歴史
目をつむると遠い昔の詩が聞こえる


宝蔵寺は加賀(現石川県)の名族、富樫氏の支流が地元に創建したもので、神宮寺への移住に伴い文和3年(1354)に加賀から移された曹洞宗のお寺です。
境内にそびえる大けやきは樹齢約950年、樹高約38m、幹回り約11mという名木で、太さ・樹勢とも県内一を誇っています。 |

大同2年(807)に坂上田村麻呂が建立した、と伝えられる古い歴史を持つ神社で、現社本殿は享和3年(1803)、拝殿は明和2年(1765)に建立されました。
勝負や戦、火に関することにご神益があるとされ、江戸時代の幕府巡見使の立ち寄る名社で、戊辰戦争では奥羽鎮撫副総督沢為量が戦勝祈願をしました。
鎌倉期から室町期までの棟札3枚は町の指定文化財。祭典は毎年9月15日。(旧県社) |

昔、南翁寺とともに戸月龍蔵台下にあった天台系の堂社で、移転を重ねて現在地に移ったのは元禄年間(1688〜1704)の頃。社地は鈴木七郎右衛門家の寄進といわれています。
現本殿は安政6年(1859)に建立されました。祭典は毎年8月17日。 |

江戸時代末期の天保年中(1830〜1844)は凶作続きでした。特に1833〜1836年は全国的な飢饉で餓死者が続出し、領内でも5万2千を数えたといわれます。
この碑には飢饉から12年後の「弘化2年(1845)に神宮寺役屋の蔵方・小西総太が建てた」と刻まれています。飢饉供養碑としては県内随一の大碑。 |

縄文時代晩期の遺跡。昭和40年の発掘調査で遺構二基を発見。自然石を四角に組んだもので組石棺と考えられています。
また、土器や石器のほか遮光式土偶や耳飾りなども出土し、かなり大きな住居跡と推定されています。 |
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