少年野球発祥の地 神岡町
羽州街道と一里塚
雄物川と神宮寺浜
町指定有形文化財
神社・仏閣
町指定無形文化財


佐竹氏が秋田藩に入り水路の整備と共に行ったのは、産業の開発や領国支配には欠かせない街道の整備でした。

その主街道が羽州街道で、慶長8年(1603)の幕府開設以来最も重要視された主要街道の東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道のいわゆる五街道に準ずる脇街道、往環道のひとつでした。

この羽州街道は山形を経て福島で奥州街道と合流して江戸に達しており、物資の交流ばかりではなく中央の文化をも地方に運ぶ重要な街道だったのです。


脇街道跡
神岡町はその街道沿いにあり、一里塚と駅伝馬役所がそれぞれニケ所ありました。


慶長9年(1604)徳川家康は、全国の大名に命じて主要街道に一里塚を築かせました。

一里塚とは、街道の両側に一里ごとに約五間四方の土を盛り、里程の目標とするもので、塚には巨木に成長する榎やサイカチを植えさせました。

北楢岡に残っている一里塚は、日本橋から数えて133里目で、県内では唯一、塚が両側に残っていてサイカチが植えられています。

地元では、「長丁場の一里塚」ともいい、昭和34年、秋田県指定史跡文化財に指定されています。

街道には公用通行者や私用または商用通行者のために、馬や人足を提供する所として藩が定めた「伝馬役所」が置かれ、本陣、宿家、宿屋などの公私の宿泊施設がありました。

羽州街道には六郷、大曲、花館、神宮寺、北楢岡、刈和野、峰吉川、淀川、境などの駅場がありました。

神宮寺駅場は東に玉川をひかえ、北楢岡駅場は南外村を経て平鹿、由利郡方面へ通ずる脇街道の分岐点に位置したので、共に重要視されていました。
また、役所からの通達や駄賃表などが掲示される「高札場」があることから、別名「札場」とも呼ばれていました。


一里塚

北楢岡駅伝馬役所跡

佐竹氏の260数年に及ぶ領内統治の中で、秋田藩の大動脈となった羽州街道は、幾多の変遷をとげながら今日の国道13号となったのです。

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